成功判定の成功/失敗と能力値の関係−能力値が高い者と低い者で、同じ成功/失敗でよいのか?−

TRPGでは、何か行動をしたときに、特に成功か失敗かがストーリーを沸けるような重要な行動のときに、サイコロ等による成功判定を行います。
この判定において、目標値に到達しなければ、行動は失敗に終わる、というのが一般的な判定処理の解決です。
今回は、そおの判定にちょっと工夫を提案したいと思います。

能力値による結果の違い

能力値が高い者と低い者が、同時に同じ行動判定を行って、どちらも成功したとします。
さて、能力値の高い方は、平均的なダイス目で成功したとします。同様に、能力値の低い方は、6ゾロとかクリティカルとか、奇跡的なダイス目により成功したとします。
この、二者の成功は、同じものなのでしょうか?

私はこう考えます。

成功したとき

・能力値が高い者の成功・・・単なる成功だけでなく、熟練からくる、手応え、些細な違い、詳細な事柄、行動の後始末、なども付加してよい
 知識系の判定なら、詳細にわたる情報の入手ができたことにします。プロだからこそ分かることがある。これを能力値の低いものが分かってしまうというのは、不自然だし陳腐にしてしまいます。
 技術系や行動系の場合は、目標の達成のみならず、その後始末や追加効果などもできたことにします。プロであればこそ、単なる達成でなくさらなる効果をもたらすものです。
 
・能力値の低い者の成功・・・成功したのが奇跡的なことであること、成功の理由を何か示す必要がある。例えば、偶然に外部の出来事が影響した、訓練や修行の成果が発揮された、判定の相手がいるならその相手が不幸にもミスに見舞われた、などの演出を行うこと。
 知識系であれば、一見無関係なことがヒントになって理解に到達する(名探偵コナンで、毛利のおっちゃんにコナンがヒントを出してあげるのとか)というのがよいでしょう。
 技術系では、プロになるものが一度は通る苦労の壁というものを演出し、熟練者のもつ「カン」というものの一端を垣間見るというのがよいでしょう。
 行動系では、相手がいることが多いです。相手が不運にもミスをしてしまう、というのがもっともな理由でしょう。
 また、能力値の低い者は、修行時代の教訓や言葉を思い出すことで、その意味を理解し、成功の為のコツを見出すことがあるのです。恩師、旧友、家族など、今は離れた場所にいる人の言葉などです。

失敗したとき

・能力値の高い者の失敗・・・よほどの理由がないと失敗は信じられないでしょう。なぜ失敗したのか、何が原因だったのか、それを演出することで納得できるかと思います。
 知識系では、何かストレスなどのせい?あるいはトラウマなどが影響しているのでしょうか?
 技術系では、体調不良が原因ということはあるかもしれません。あるいは、できるはずのことが「できないように」細工されていたとか?
 行動系では、不運に見舞われて、ミスということはありそうです。あるはずのないところに、小石がありつまずいた。木の葉が目の前に落ちてきて、視界をさえぎられた。あるいは、自分の熟練を過信していたとか。
 熟練した者がミスをする。その理由は、精神的なものと、予想外のものという2つに分けられます。熟練者が年齢を気にする、引退を気にするようなことを演出したいなら精神的なものを、そうでないなら予想外のものを理由にするとよいでしょう。
 いずれにしても、熟練者はその行動の失敗の理由にいち早く気付きます。
 
・能力値の低い者の失敗・・・未熟だから失敗した、経験の差、相応の結果ということで、特に追加することもないでしょう。
 ※能力の高低による効果を精確に適用すれば、「能力値の低い者が失敗し場合は、追加でされに悪いことが起きる」ということになるでしょう。しかし、それではRPGRPGとしてストーリーゲームが成り立ちません。能力の低い者でも挑戦するに値する場合があります。それは、熟練への一歩なのです。ゲームがギャンブリックにならないようにするためにも、この「能力値の低い者の失敗」の追加効果は適用しないことにします。
 

TRPGならではの「想像」と「創造」

シミュレーションゲームであれば、判定を正しく行い、結果を厳しく適用してゆくのが正しいでしょう。しかし、TRPGは、判定の結果から「状況を想像する」という遊びであると思います。そして、想像した状況から「ストーリーを創造する」のです。
この方法は多少面倒でもあるし、マスターやプレイヤーの負担も増えるかもしれません。
これが正しい遊び方だ!というのではなく、こんな遊び方もありますよ、と提案したいです。