D&DがRPGであること

にゃ

世に一般的にRPGの元祖はD&Dだということになっている。もちろんRPGという遊びを定義したわけではないが、こういう遊びをRPGという、その基礎を作ったのだ。
D&Dはダンジョンを突破して宝を手に入れ、生きて外に帰還する、という限られた場所での冒険から基本となる。このダンジョン探索ゲームをよく分析すると、シミュレーションゲームと変わらない部分がほとんどであることがわかる。
敵との遭遇は、確率により表現されていて、明かりをもっているか、音を立てないで歩けるか、暗闇での視力はあるか、匂いやその他の感覚は有効か、などと条件によって敵との遭遇確率は変化し、また、遭遇したときに行動に有利になったり不利になったりと影響がある。
戦闘になったときも、戦闘行為の中で行動が成功する確率、死亡する確率、その他をやはり確率によって表している。こういった数値表現は、ボードゲームシミュレーションゲームにおける高度な再現性・リアリティを表すのに使われる。
D&Dは、ダンジョンを題材にしたシミュレーションゲームではないのか?それは違った。
たった一つ、それがあるだけでD&DRPGになったのではないか?それは、、、アラインメント(性格属性)である。
アラインメントを無視してゲーム進行を考えると、サイコロに一喜一憂するボードゲームさながらの遊びになる。ある状況での行動選択に、アラインメントが関わっていくと、RPGとなるのだが。
例えば、
悪者が人質をとっている。相手は5人、こちらは4人。こいつを殺されたくなければ武器を置いて下がれ、という。
このような状況で、アラインメントルールが無い場合、ゲームであることを割り切って、人質の犠牲は仕方なし、我々が生き延びて、悪者達を退治できればよい、という冷たい戦略も成り立つ。
しかし、アラインメントルールがあると、
プレイヤーA『人質は掴まった時点で死んだも同然。かまわず突撃のチャンスだ』
プレイヤーB『いや、まて、人質を助ける方法があるはずだ。おい、お前にちょっと頼みたいんだが』
プレイヤーC『お?俺の力が役に立つって?無茶でないならやってもいいけど』
という風にドラマが始まる。冷たい戦略に従えば、人質は無視して攻撃、1対5の有利な取引になる、ということに。これは誰がプレイしても同じような結果になる。しかし、アラインメントルールは、そこで『戦略よりも人間のとる行動の多様性、行動原理の違い』があり、いろいろな結果に辿り着く。
RPGとは、ゲームに勝つことばかりでなく、人間心理等を含んだ行動の縛りがあるゲーム、ということではないだろうか。