ストーリーとゲームその2

グラディウスⅤを買った。このゲーム、『過去と現在』の意味が比喩的に感じるところがあり、それを書いてみたい。昔と今のゲーム、どう違う?

ルールと目標

ルールのもとに行動し、その行動には目標が用意される。昔のゲームは1面、2面、といった単位でゲームが進んでゆき、その進行が得点で評価されるものだった。プレイヤーは得点を多く稼ぐことを目指して遊んだ。現在は、その面の単位がちょっと変っただけだ。ストーリーにそって進むので、面の意識は少なくなったが、長いビジュアルシーン・デモなどを区切りとすれば面と呼ぶこともできる。

得点とストーリー

しかし、ストーリーの結末に到達することがゲームの最終目標となれば、得点を稼ぐチャンスは少なくなり、なおかつ得点を稼ぐ意味が失われる。かつては、得点を稼ぐと残プレイヤー数が増え、それによってゲームプレイ時間の延長ができた。プレイ時間の延長が、プレイヤーへのご褒美ともいえる。現在はストーリーの進行がご褒美か。ご褒美とは目標になる。

続き・やりなおし

ストーリーの存在により、ゲームは変化してきたが、他の要因でも変化がある。繰り返し遊びながら、自分の好みの環境を手に入れてゆく方式。グランツーリスモなんかがそう。車の成長は、まるでRPGのようでもあるが。3DアクションゲームはほとんどRPGに近くなっている。ステージ構成がRPGにおける世界めぐりのような感じに、世界地図のような構成でそこをさえぎるものを一度クリアすれば何度も行き来できたり。これらに共通するものが、『進行状況をセーブできる』ということ。一発プレイでなくてよいのだ。

外部要因・プレイ時間制限

現在と過去のゲームの違い、それはセーブにあるのかも。迷宮組曲を今やると、やっぱりセーブ機能が欲しくなるもの。それは、ファミコンの頃は、ゲーセンのゲーム(アーケード)が家庭でもできることや、ゲームのアイデアの先端を行っていたのがアーケードだったからだろう。ところが、家庭用では、競争相手もなくマイペースでゲームと向き合えるようになった。コイン入れなくても連続プレイできる!これにより、得点によるプレイ延長には意味がなくなり、同じ構成のゲームを繰り返すものは廃れていった。また、繰り返しプレイすることの意味を強めるために、成果の蓄積がゲームに取り入れられていった。RPGのような経験値システムや、コレクション要素の追加もそのためだ。

今回、グラディウスⅤをやって思ったこと

プレイ時間でクレジットが増える。必ず1面からスタートせねばならない。得点で1UP。残機がなくなりクレジットがなくなるとコンティニューできずゲームオーバー。昔から変らない、アーケードゲーム向きの要素ばかりだ。ステージクリアで区切りセーブできたら、と思う。もっとたくさんの時機の種類があったら、と思う。いや、グラディウスに縛られず、ビックパイパーでない自機でもよかったはず。オプションがあることを前提とした面構成ばかりで、そこもつくりが甘いと思う。何かちぐはぐだ。無理にグラディウスにする必要のないゲームだったと思う。グラディウスⅤについてはまた別に書こう。

ゲームに勝つ!

ゲームは家庭に入ってから、好きな時にセーブできるものになった。まるで、ビデオを見るのと同じように。今日は1話から6話まで。明日は7話から。小説にしおりを挟むのも同様かもしれない。ゲームはもっとプレイデータの保存が前提となるなら、競技性は失われてゆくのだろうか。いや、ゲーセンでは時間制限があったため、プレイ時間の延長が目標となった。プレイ時間の制限のない家庭用では、何度も繰り返せる。その違いだけで、目標の間に作り手が仕掛けた障害との勝負は、その競技性は失われていない。ストーリーがついたことで、シチュエーションも手伝って、『勝負する!』という意識は純粋になったものと思う。ゲームは、勝負だ!