女性を演じることについてと死滅しつつある女言葉

今さらながら、「キャラクターとプレイヤー」の違いについてといった記事がTRPG系のブログにて書かれているので、「じゃあ私も」と書いてみます。

またキャッチなタイトルで、中身が違う。前半は「男プレイヤーが女キャラをプレイするのは難しい」「異性は他者である」という2点。後半は「キモオタ批判」です。
1つ目は、「俺(うがつもの)は女キャラをプレイするのが難しい(苦手)」ということでしょう。
何を持って「よい異性キャラをプレイできた」とするのか、批評のスケールが書かれていないため、はっきりしません。また、事例があげられておらず、個人的感想として「難しい」ということを書いているわけです。
2つ目、
>>『TRPGで異性キャラをプレイする難しさ……、その根底にあるのは異性キャラがプレイヤー本人の自我とは別人格であることなのです。』<<
ここがポイントでしょう。異性かどうかはともかく、一人の人物を「自身の目」と「他者の目」とを両方気にかけたほうがいいよね、ということだと思います。途中まで例に挙げていることが無意味になってしまいますが。


始めの方に、先の記事に関する「解釈」が書かれています。ついで、体験や実践的なこと、異性を演じることは努力が必要、その苦労も楽しみのうち?という話。


TRPGの現状にいたる経緯、オンとオフでのロールの違い、はたまたラノベの影響もリンクしているという、いろいろ隅々まで丁寧に書かれてます。

ファンタジーは古いとか言うのは、「邦楽は死んだ」とのセリフと同等に昔からよく言われていたことです。ファンタジーから学園ものへの遷移は、動物化するポストモダンと関連したことかもしれません。ファンタジーとは本来、「これ」という規定があるものではなく、大枠のジャンルでしかないはずなのです。それが、TRPG界でファンタジーというと「ドラゴン、エルフ、ドワーフ、剣と魔法、・・・」ということになるのです。これは「ファンタジージャンルを読み漁り、共通点を認識したもの同士の共有世界」とも言えます。ファンタジーを読み漁るなどということをしない現代、めんどうなことは抜きにしてパッと遊べるように、現代もの、学園ものという『共有世界を持つかのような錯覚を与えるもの』で代用に成功した、といえます。日本の義務教育は未だにどんな都会でも田舎でも同じような環境にありますから、同じような体験をした平均値をとるのにうってつけでしょう。
ポストモダンという理想に向かって努力するのでなく、皆が共通でもっているものをポストモダンに納めたというわけです。
 
男性が女性キャラを演じるのは、簡単な方法があります。女王様キャラにすればいいのです。昔から、「オカマ」と「タカビー女王様」は素人でも演じやすいキャラクターとして便利に使われています。ラジオドラマのゲストにアナウンサーが参加したとき、オカマキャラでした。アニメのゲストにアイドルや女優さんを起用されたとき、タカビーキャラであったり女王様でした。
オンラインセッションでは、読む人の想像が強く反映されますから、「俺、男」という濃さは緩和されるでしょう。
リアルでの裏声で女言葉というのも「たちの悪い冗談」でよくネタにされます。ですが、近年、女言葉を使う女性が少なくなってきたのではないでしょうか。
もう、女言葉を使うのは、小説やアニメ・ゲーム等のフィクション内か、あるいはオカマさんたちだけになっていくのでしょう。そうなると、「女言葉を使う=女性を演じる」ではなくなり、男性が女性キャラをプレイするのも自然と多くなっていくかもしれませんね。
 
マリア:「っつーかハヤテ、お前、ナギのことどう思ってるん?」
ハヤテ:「どうって、お嬢様は大切な人ですよ」
マリア:「ハァ?じゃなくてよー、好きなのかって。どうよ?」
ハヤテ:「え、そうですね。好きですよ。」
マリア:「マジ?っつーかヤバくね?ありえねー」
 
こうなっちゃうんでしょうか。
こんな女性ロールプレイ、したくないですね★★★
 
関連:女言葉