隠し要素って、隠しておいていいの?


ゲームの楽しみって、隠し要素を少しずつ明かしてゆくのが楽しいのかな?まあそういう脱がす楽しみもあるかもしれないね。でも、本来の目的、アクションやら謎解きやらをやっていったあとに、「もっと面白いゲームを紹介しよう!」って感じで隠し要素が登場されたら・・・。
 
ゲーム作りが工場生産的になって、隠し要素やら豪華なビジュアルやら声優やら、なにか定番化しつつありますね。そうして似たようなゲームソフトばかりになって、お互いに殺しあっているのに気が付かないのかしら。個性の時代とか言いながらブランドやファッションのパクリを選択するというのが現実ってこと?
ともかく、ゲーム制作者の意向ではなく、時代の流れでしかないように思います。ファミ通の読者アンケートでも、「やりこみ要素」「隠しフィーチャー」「ロードが長い」とかゲームの本質よりもサービスの方ばかりもてはやされるのです。
 
さても、ゲームのプレイ時間については、「それだけプレイした必ず満足する」という確信があるのだろうか。面白いゲームなら、本当に時間を忘れて、飽きるまでプレイするだろうに。つまり、「ある特定時間だけ遊べたから楽しい」のではなく、「楽しいからこんなにたくさんの時間プレイした」ということでしょう。プレイ時間というのは、目標ではなく、結果の1要素に過ぎないのです。
 
俺屍の目指したものは、ストーリーの楽しみ「読み物娯楽としてのゲーム」を重視する人に向けて、なおかつ経験値稼ぎというリソース管理ゲームの手順が冗長であると感じる向きの人(あるいは本当に時間がない人)に向けての、ゲーム短縮ではなかったかと思います。
最近のゲームが皆、競技性の部分を弱めて、プレイヤーの興味を惹きつける要素をストーリーにしかもたないからでしょう。ストーリーは一度見ると消費されてしまうので、2度目もプレイしようと思わせることが難しいのです。
 
ガチャフォースはうまくやっています。ストーリー要素は簡素にしていますが、燃えるシチュエーションはきちんと用意しているし、繰り返し遊ぶのに適した軽快さ(演出スキップ可能)で、データを引継ぎで2週、3週と遊べるようにしています。
 
特定時間で終わるゲーム・・・それはどことなくタイムアタックな気がしますね。ゲーム開始からある一定の時刻にイベントが起きる。その時刻に間に合えばイベントに参加できる。オンラインゲームでは、そのような「期間を限定してその中で歴史がどう動くか」を追体験するというのがありますね。ガンダムとか。
ロマサガが目指したのも、そのような感じなのかもしれないですね。