選択肢の罠 可能性の広がりすぎはかえって危険?!

『山奥の廃墟にて、地下通路を発見した君たちは、軽く調査してみようと降りていったのだった。
しばらくいくと通路が右と左に分かれている。どちらに進むか。』


こんな状況は、よくあるかと思います。ゲームブック以来、この手の分かれ道では、一度選択すると戻れなくなる可能性も考慮に入れて、覚悟を決めて決断するものです。
このシナリオには、いくつかの問題があります。
①プレイヤーの行動選択肢が幅広いということです。
TRPGでは左右の道を選択する他に行動ができますね。でも、行動には理由が必要です。情報不足が次のようなことをまねくかもしれません。

  • 通路を調べる
  • 来た道を戻る
  • 左右に分かれて別行動する。(パーティの場合)

「右でも左でも、適当に選んでくれればいいや」と思っていた場合、これはやっかいです。
・通路を調べても、何もでてきやしないよ、何も設定を考えていなかったよ。いやむしろまだ入り口なのに調べるなんて臆病な。
 →プレイヤー達は臆病です。状況を理解する手がかりが欲しいと思うものです。特に、自分たちの目標がここにない場合には。
・来た道を戻られるとは考えていなかった。だいたい、ダンジョンシナリオだってわかるだろう。非協力的なプレイヤーだな。
 →あまりに簡素な説明なので、「重要でないところに来てしまった」と逆に考えられてしまうこともあるのです。さらに、ダンジョンシナリオであれば、なおさら状況説明の重要度は上がります。
・左右に分かれて別行動?冗談じゃない、戦力分散はナンセンスだ!
 →あまりに簡単に選択をせまっているので、「危険なし」と思い込んでしまったりもします。左右の通路に違いをつけたり、選択の理由になりそうな情報を与えたりして「危険のアピール」も必要でしょう。


②選択肢は幅広いが、目的がないということも問題です。
いろいろできそうで、実は何もやることがない、そういう状況になると、プレイヤーは臆病になるかヤケになるかで、シナリオの予想外の事態にもつながりかねません。
街の中での行動でもそうです。買い物や娯楽に興じたり、任務とは関係ない商売を展開したり、単独で行動できるようなロケーションはシナリオ破綻の原因になりやすいです。


右で待つドラマと、左で待つドラマ。その選択によるドラマの違いが、理由なきランダムチョイスでは陳腐だと思いませんか?


指輪物語で、サムがこのようなことを言います。
『おらは、神話や伝説のお話に出てくる勇者は、それをしたくて冒険に行ったんだと思っとりました。でも、本当に意義のあるお話や心に残るお話ってのは、その人達は仕方なくそうしたのであって、冒険しなきゃならないはめになっちまったのですだ。』


私は常に思うのですが、TRPGにおいて、わざわざ普通の生活・普通の人生で終わるような行動を選択する意味がどれほどあるものでしょうか?
生まれてから死ぬまでの刹那の生涯、その人生の数々のドラマのなかでも非情に稀な人生にめぐり合うチャンスをみすみす逃すなんて、もったいない!
何も危険に会わず、村の外に出ないで、生活に必要なこと以外はシャットアウトしてしまえば確かに死なずにすむでしょう。
なんのドラマもないストーリー、いやストーリーと呼ぶべきかもあやしいものを作り上げるのに、貴重な休日を使ってしまうのは、いかがなものかと思います。


話を戻すと、ドラマのあるストーリーにおける選択とは、勇気をもって選ばれるか、自分の意志とは無縁の謀略に巻き込まれて選択することになるものだといえましょう。


プレイヤーに選択肢を提示するとき、その選択には明確な理由がありますか?