ひとりじゃできないことだから

悪いことに、そう解釈するとゲームブックという非常に親和性の高い書籍があるから、TRPGは「ゲームブックの記述をGMが口述でする多人数参加ゲームブックである」だと認識する人がいたっておかしくありません。
RPGコラム 『うがつもの』: ゲームブック読者×6+ゲームブック講釈師×1=TRPG?

ええ。私はD&Dをそういうものだと認識していました。
ゲームブックの発生起源はパラグラフ本とかいろいろ説があるのですが、「FF(ファイティングファンタジーシリーズ)火吹き山の魔法使い」を始めとする一連の『サイコロを振って』とか、『能力値を決める』とかそういう形式のゲームブックの元祖はTRPGの練習用ソロアドベンチャーだったそうです。だから似ていて当たり前です。
昔、ウォーロックというゲームブック紹介の専門誌がありました。ウォーロックはやがてT&Tを紹介しました。そして、T&TからAFF、ウォーハンマーFRPGへと流れ、ゲームブックの火とともにウォーロック誌も消えるのですが、T&Tを紹介しはじめた時期にFFシリーズのことを『RPGの最先端のメディアだ』と書かれていたのです。
私はまさにゲームブックからRPGに入ったプレイヤーでした。今でも私はシナリオの準備に詰まると、あるゲームブックを読み返したり、ゲームブック関連の記事を見たり、ゲームブックの恩恵に与ることはしばしばあります。そして、GMの立場においてはつねにゲームブックプレイ時の緊張感ある描写やサービス精神を忘れずに進行しているのです。「ここは、面白いから落とし穴に落としてあげよう」実際に落ちるかは判定ダイス次第ですが。

TRPGが集団ゲームである意義を薄れさせる要因は、今の段階では3つ思いつきます。

1:TRPGをプレイすること自体への興味のなさ
2:TRPGが複数の人間が時間を削って一同に集う必要性への興味のなさ
3:TRPGのカオスへの興味のなさ

なんだか、「ロープレうざくね?」とかいいそうな、にわかファンの怠慢をリストにしているようにも見えてしまいますが。。いや、むしろそういう体質が蔓延しているということも。ああ。
えーと、TRPGから離れてしまう人の理由とも見えますが、TRPGがなぜ失敗するのか、その一因として『集団ゲームであることの認識不足』を挙げておられます。http://www.scoopsrpg.com/contents/kaitenyoku/kaitenyoku_20050703.html
やはり「RPGらしきなにか」という不確定認識のものをそのままにしてきたことがまずいのではないかと思います。RPGの楽しさ、RPGの種類、などなどをプレイヤーたちも認識しきれずに「まあこんなもんか」というところで見切りをつけるのでしょう。RPGって何なのか。
経験値を稼いでレベルアップして、ストーリーにそって冒険するのがRPG、という間違い。これでしょう。
ああ、つまり、『現在のコンピュータゲームの業界の弱点』と同じ弱点をもってしまっているのだな。
現在のコンピュータゲームプレイヤーは、若者と30代前後の人とで大分遊び方に違いがあるようなのです。我々オールドタイプは、ゲームは長い時間プレイできれば勝ちという時代からの刷り込みがあり、ゲームに勝つための策を考えます。途中でゲームオーバーは自分のミスと受け止めます。
しかし、若者たちは、すぐに死ぬような難度の高いゲームは作りが悪いととらえます。ゲームはプレイヤーを楽しませてくれるものである、という認識なのでしょう。途中でゲームオーバーはサービス悪い、ということになるのでしょう。
特にアクションゲームなどは、昔の、ストーリーなどほとんどなくゲームゲームしたものから学んだ技術が、現在の最新ゲームにも効果的だったり参考にできたりするのです。しかし、若者にはそれがない。
これはゲームに新たに参入してきたプレイヤーに、きちんとした基礎教養、基礎トレーニングもなしに最新作(特に続編もの)をやらせることが頻繁におきているのです。
どうしたものでしょうね。ユーザーを育てない業界。これがTPRGの業界でも起きているわけです。
でも、熱心なユーザーはあちこちのサイトを見たり、いろいろなゲームをプレイして、情報を得て、自分なりに基礎確立をしているはずです。そういった人に、お役に立てる情報を伝えたい。
ゲームブックファンは涙の味を知っている。TRPGが消えうせるような、同じ涙を味わうようなことはしたくない。そのためにも。
負けるな!