シリーズものについて

前口上

受け継がれる意志、時代のうねり、人の夢。これらは止めることが出来ないものだ。人々が自由の答えを求める限り、これらはとどまることがない!

シリーズものには厳しい批評記事

ゲームの批評雑誌の記事をいろいろ読むのだが、シリーズものについての記事が「何か鼻につく」ことが多い。過去の作品と比較ばかりして、それそのものの評価が疎かになっているキライがある。
ゲーム批評なんかその傾向が強いようだ。シリーズものが取り上げられると、やれ「過去の呪縛」だの「脱却」だの「進化」だのという言葉が並ぶ。まるで、成績がアップしても誉めないでひたすら勉強させようとする親のようだ。これじゃ、作ってる人がかわいそう。もっとじっくり成長の喜びを味わおうじゃないか。

シリーズものって?

ゲームというのはルールがある。ゲームごとに違うルールでできている。ゲームの続編というのは、ルールを継承しているもの、といえよう。また、ゲームの背景世界のつながりというのも稀にある。
続編ゲームに求められるものとはなんだろうか?
やはり、ルールの継承によるより深い楽しみ、ということになろう。あるいは、同じ世界で別の視点からのストーリーというのも期待される。つまり、前作を知っていることが前提で、楽しみの継続をかなえるものということだ。
映画や小説の続編ものはどうだろう。やはりこれも、前作を知った上での楽しみを大いに含んでいるはずだ。人気が出てから続編が作られたものより、初めから三部作と決めて作られたものは特にそういう傾向がある。

シリーズタイトルの覚悟

大抵のシリーズものというのはタイトルが同じで、後ろに数字がつく。なぜ同じタイトルなのか。それは、中身を保証する意志の表れと言えないか?ドラクエ8といえば、3Dになったといっても、ドラクエの楽しさを期待するものだ。ドラクエという名なのにリッジレーサーの楽しさを期待することはあるまい?つまり、過去に縛られてもいいじゃないか、むしろ過去のものを継承してこそ、タイトルを続ける意味があるのだと。ドラクエを脱却したらドラクエじゃなくなる。グラディウスの呪縛を解き放ったら、グラディウスという名でなくて、「フェニックス」でも「エストック」でもいいではないか?ドラクエをやりたいからドラクエを買う。グラディウスをやりたいからグラディウスを買う。

シリーズよ永遠なれ

あえて変らなくてもいいのかもしれない。ストⅡは10年後20年後もストⅡであってほしいし、モノポリーやマジックのように世界大会が開かれるゲームとして受け継がれていってほしい。

急ぐことはないのだ

シリーズものに厳しくしすぎないでほしい。現行のルールに不満で脱却を望むなら、他のゲームをやればいい。でも、少しずつ進化してゆくはずだから。俺の代で無理でも、息子の代で、孫の代で、いつか到達できるはずだから。だから、そう、俺の屍を越えてゆけ