戦ってなんぼ!

RPGの主人公はいつも事件に巻き込まれていて、それでいて必ず事件を解決しなければならない。中には命をかけた大変な状況に陥る者もいる。そんな事件や冒険は、我々にとっては平和ボケした退屈な日常から解き放ってくれるキーワード。プレイヤーはわくわく、キャラクターは生きた心地していない、ということもある。プレイヤーとキャラクターの関係について。
☆ダメージ!
健康状態を表す値、HP(ヒットポイント)。これが0以下になるとキャラクターは死んでしまい、ゲームオーバーとなる。HPが減ることで怪我の度合いがわかり、少なくなれば危険だと感じる。このとき、プレイヤーがHPの見て危険を感じるのとキャラクター自身が怪我を負って危険を感じるのとが符号する。
☆キャラと自分
RPGではプレイヤーはキャラクターの判断の代理を行い、行動自体はプレイヤーの代わりにキャラクターがする。つまり、プレイヤーとキャラクターは分離している状態である。しかし、先ほどのダメージの例では、キャラクターの痛みをプレイヤーも理解できる状況である。他に、TRPGではキャラクターのセリフなどもプレイヤー自身で行うので、よりキャラクターと密接な状態になっている。今後、TRPGのようにキャラクターの行動がプレイヤーに委ねられる場面が多くなれば、cRPGもプレイヤーとキャラクターが密接になるだろう。
☆感情移入
アクションゲームではプレイヤーとキャラクターの関係は密接であるが、キャラクターが自分の代理というよりは、ゲームの駒であり、スポーツのバットやボールやラケットなどに同じといえる。RPGではキャラクターの立場になって考え行動するので、キャラクターの痛みや感情を理解しなければならない。駒でなく、そこに自分がいることを想像して行動するのだ。そして感情移入しながら行動する、それがRPGの楽しみのひとつ。
☆私は誰?私はどれ?
しかし、最近のcRPGでは、操作するキャラクターの数が4〜5人ということが多い。かつて、ウルティマウィザードリィのころは戦闘が主体でストーリーの存在は薄めであったころは戦略的にも全員を操作するのが効果的であった。AIの働く余地がないほどのコンピュータの制限のせいもあったが。その時代のルールをまだ引きずっているのだ。多人数を操作していることで、プレイヤーはどのキャラクターに感情移入すればいいのだろう。
☆プレイヤーとキャラクターの距離
現在、プレイヤーとキャラクターの距離は結構離れているといえる。もっとも密接と感じるのはアクションRPGであるが、それさえも戦闘以外では非アクションのRPGと大差ない。それは、戦闘に関する以外の能力が数値化されておらず、プレイヤーが認識できないからだ。戦闘のルールだけが試行錯誤されているが、その戦闘重視の傾向が多人数操作につながっているのかもしれない。
☆戦闘志向?冒険志向?
ルールのないことには行動ができない。戦闘以外の部分、例えば交渉、情報収集、などの会話に関するルールを組み込むことができたらもう少し感情移入も大きくなるだろう。そして、操作するのは一人に限ることができれば。
キャラクターが戦闘能力以外のこともルール化されたら、RPGももっと変われるだろう。
RPGってどうなるだろう?