プレイヤーの行動

ある映画の感想をネットで見た。「あいつ、最初からあんなところ行かなければよかったのに」おっしゃる通りですが、それじゃお話は存在できない。
架空の話において、状況や登場人物の行動は必然である。ゲームにおいても、困難な状況に陥ってこそゲームが始まる。でなければゲーム開始から1分でエンディングを迎えてしまう。
TRPGにおいて、ゲームの出だしが一番気を使い大変なのである。あ、これはマスター側の視点ね。
・用意した舞台から外れようとする
  これは別に悪気がない場合もある
・与えた情報を勘違いして、まさに『最悪のシナリオ』に突入
  慣れたマスターでも時々あるんだ。一度走り出すと止まらない(泣)
・あらゆる面倒事から離脱しようとする
  特にホラーものでやられると困る。今回はこのタイプに注目
まず、TRPGとは、『多人数で遊ぶもの』『勝ち負けのないもの』ということを再認識したい。
多人数で遊ぶものといえば、カードゲームやボードゲーム、コンピュータでも対戦や協力のゲームが最近増えている。
一緒に遊ぶのは、なんの為か。一人で遊ぶものでは、ルールを解析しつつそのルールに打ち勝つ方法を模索するようになる。最初はルールに翻弄されるのが面白いだろうが、やりこむとしだいにそうなってくるであろう。
そこに他人が加わると、どうなるか。自分とは違う人間による思考が入り込むので、ルール以外に他人の行動にも注意しなくてはならない。より複雑なことが要求されるわけだ。人間の行動を読むのは難しい。遊ぶたびに違った展開になることが多くなるだろう。そう、新たな刺激を求めて、多人数で遊ぶというのが一つの大きな理由だろう。そして、もうひとつ。『あいつのプレイは楽しい』
複数人で遊ぶと、その中で巧い奴・下手な奴がわかってくる。そのまま遊べば、『巧い奴には勝てない』『先が見えた』『どうせ奴が勝つのだ』そんなものでは面白くないし、時間の無駄。そうなるとその仲間は崩壊することになる。そうならずに遊べるには?
勝ち負けとは別に、多人数一緒に遊ぶから楽しいというのがある。一緒にいること、それ以外にも理由はある。一緒に遊びながら、皆、黙々とプレイするわけではない。必ずいるはずだ。雰囲気を盛り上げる道化役が。アニメのセリフを引用したり、流行のCMやタレントのギャグを引用することもあるだろう。勝った時には嫌味にならないように、負けた時も痛々しくないように、状況を演出する。そして、ルールの本質とは違うところをついた(いわばギャンブリックな)行動でゲームをかき回す。
彼らは決して勝ちを放棄したわけではなく、しかし定石から外れた行動をしたりする。野球でいえば、新庄剛志だ。新庄のプレイは遊びではない。定石を理解し、その裏をかき、なおかつ自分の魅力を最大限に引き出す。サッカーではファンタジスタという。一般の頭脳プレイではなく天才の勘によるプレイと。彼らがいるとゲームはより面白くなる。勝ち負けだけでなく見所が増える!
つまり、ゲームにおいて我々が楽しんでいるのは、勝ち負けを含んだ予想を越えたもの、その期待を越えるものにある。どうなるかわからないその不確かさに楽しみを見出すのだ。
TRPGには勝ち負けがない。では、なにを楽しむのか。一緒に遊ぶことの楽しさ。自分たちの行動の責任によるシナリオの展開の不確かさ。そのシナリオの行く末。そういったところではないか。
先の、『あらゆる面倒事から離脱しようとする』タイプのプレイヤーは、ゲームのルールに勝とうとしている。まるで『生き延びた者が勝ち』であるかのように。こんなプレイは間違いであることに気付いて欲しい。
指輪物語に、こんな言葉がある。
「世の中のいろんな伝説やお話の主人公は、危険から逃げた人ではないです。彼らは行かねばならなかった。そして、決して逃げることなくそれを全うしたのです。だからお話に残ってるんです。」(かなり分かり易く修正しているが概ねこうであった)
つまり、われわれがTRPGをするときも、状況を受け入れて困難に立ち向かわねば!でなきゃ、プレイする意味がない!
※追記
でなきゃ、プレイする意味がない←ちょっと言い過ぎか。まあ、今回言いたいことの本質は、『せっかくだから』にあるので。