Mr.ホームズ 孤独について。老いについて。

先に映画の傾向を書いておきます。この映画は、ホームズマニア向けです。それも、原作重視派向けです。
テーマは「孤独」「老い」でした。ホームズの格好良さも残しつつ、年老いて記憶力が怪しくなってきていること、そして心残りの事件についての回想。それらとともに、孤独を受け止めること。この映画が幕を閉じる頃にはそれらが全て収まる仕掛けになっていました。


これはささやかな事件でした。本当にホームズが対処すべきほどの大きな出来事でもなく、興味をもつような難解な奇妙なという要素もありませんでした。
きっと、生活のために、ときには自身の頭脳の健康を保つ運動のように、そのささやかな事件を引き受けたのでしょう。この時点ですでに、ホームズの孤独が影を差してきています。ワトソンはすでによそへ行ってしまったため、一人で探偵業をしているのです。孤独の中での事件。そして、孤独が浮かび上がる事件。そのせいで、自身の孤独に気付いてしまったホームズ。その流れがとても心に突き刺さります。
ホームズがあの時に言った「アドバイス」は、まあ、そう言うだろうよなぁ、というよくある言葉でした。でも、女性の心を理解していなかったんだろうなぁ。ホームズは割りと、現代で言うオタク気質、マニア気質なので。女性の感情優先的な行動には、「めんどくさいなあ」と思っていたようなくちでしょうから。
私も覚えがありますよ。それまでに結構仲良くなったなあと思っていた女性が、とある会話をきっかけに、二度と会話してくれなくなるというアレですよ。理性的な「正しい解答」をしちゃダメなんですよね。女性が欲しいのは解答ではなく、心のある言葉なんでしょう。などと思いだしても、今更・・・そう、今更という後悔なんですよ。この映画のもう一つのテーマ「後悔」ですね。


隠居の身のホームズは、家政婦の息子にせがまれて、書きかけていた本を少しずつ書いていきます。一度はワトソンによる書籍が元で映画にもなったという設定。ホームズが自分自身が映画化されているのを見るというシーンは、なかなかシュールでもあり、「もしも」という想像を刺激する、シャーロキアンなら誰もがやる妄想の具現化でもあり、魅力的なシーンです。
少し話が逸れますが、生きているうちに自分自身が映像化されるというのは希少なことでしょうね。その希少な例が、ドラマ『アオイホノオ』です。


隠居ホームズは、記憶を辿りつつ、事件の過程を思い出そうとします。本当に少しずつ。老いていくことの辛さの一つ、記憶力の低下ですね。記憶障害に関しては、まだ私には理解の及ばないところですが(まだ実体験もないですし)、遠からぬものであることは、様々なところから伝え聞いています。記憶がないことを自分でわからないということ。そこからくる、自分自身への疑い。自信喪失へとつながる悪循環。恐ろしいものです。この、記憶障害のせいで、本来ならささいな事件などあっという間に終わるところを、少しずつ進めていくという「じらし」効果を視聴者に与えています。劇中の少年が言う「ねえ、続きはどうなったの?」というセリフが、我々の心そのものでしたw


ホームズが失ったものをひとつひとつ確認するシーンに、涙が溢れました。
もう、取り戻せないものたち。
かくして、「孤独」と「老い」についての物語は、ひとまずの結末にたどり着きます。それは物悲しい色を帯びて入るものの、それを受け止めて、こういう生き方もあるよというひとつの答えでした。
孤独を抱えて老いていくことになる、独身のアラフォー世代には見て欲しいと思います。


ひとつ、残念に思うのは、カメラワーク。なぜかアップを取りたがる傾向。カメラの切り替わりが激しい。ホームズが手にしている「証拠物件」をもっとよく見たいのに、1秒ほども写っていないですぐに切り替わってしまう。そこが残念でした。