『NHK 青春探検テーブルトークにひたる若者たち』に、異議有り!


最初からやる気がない、乗り気でない記者。
記者の主張が、「バーチャルでなく現実のほうがいい」というもの。ものの良し悪しと好き嫌いの違いを混同してしまっている例かもしれない。
最後は綺麗にまとめてあるのですが、あまりにも「偏見を助長しかねないシーン」の多いこと。
 
記者は、このゲームの実プレイを横で見ていたのだが、何が楽しいのかわからなかったそうだ。
ゲームの参加者に質問をしているが、「ごっこ遊びの何が面白いの?」という色眼鏡的ニュアンスが窺い知れる。
「このゲームに参加して、体験してほしい」という提案に対して「私は何かを演じたいとは思わない」とは、論外なことではないか?
たとえば、うまいラーメンが人気というのを取材する場合、そのラーメンを食べるべきではないだろうか?
ラーメンを食べもせず、客にインタビューしたり、食べているのを横で見ているだけで、そのラーメンのうまさがどれほど解るのだろうか?「食べてみてください」という提案に「私はラーメンを食べたいとは思わない」と言っているわけだ。
ラーメン嫌いの人にラーメンの取材をさせることがあるかどうか知らないが、少なくとも、『野球を解っていない・興味もない新人女子アナが担当するスポーツバラエティ』と同様の不快感を感じた。
 
中盤以降は、「人間関係、コミュニケーション」についてのインタビューとなっている。ゲームのことを聞くのでなくこの質問をしているのは、結論に向かうための伏線であり、そちら方面に視聴者の気持ちを誘導しているようにもとれる。「若者が現実から逃げている」「キモオタ・意気地なし」という風に見られる可能性もあり、危険だ。
ダイスについて、「サイコロで決まるより、現実で頑張るほうがいい」というのはひどい。現実でも運で決まるようなことが多々ある。努力は全て報われるわけではない。むしろ、ゲーム内では努力が勝ってしまいすぎるので、運の要素で現実に近づけているというのもある。
 
なぜ、こうも現実にこだわるのだろう。記者の彼女ら、「バーチャルより現実」という人たちも、映画や小説から学んだことはあるだろうし、若い頃、大人が教えてくれないことをそれらから学んだはずだ。そういった映画や小説に、アニメやゲームが入ってきたというの時代の流れやそのメリット・デメリットについてを論じることなく、枠の外に置いてしまう思考には、どう対処すべきなのだろう。
 
昔、ある舞台役者さんが、とある番組(徹子の部屋だったかな)で、「役者になってよかったなと思うことは?」という質問に対して、『人よりも何倍もの人生を経験できたということ』と言っていた。役を演じることによって、自分の選択しなかった人生を体験できる。あるいは、時代性や生まれによってなれなかった職業、とてもまれな立場・シチュエーションを体験でき、それを人生と等価と言っていることに私は感動した。その役者さんは、役も人生の一部であった。人生そのものと同じく、「役を生きて」いたわけだ。
 
問題のある番組ではあるが、同時に『TRPGが抱える問題』も見え隠れしている。
何が楽しいのか。何を目標にしているのか。
やはり、伝わりにくいものだ。
歌手になるでもなく、しかし唄うことの楽しさを目的に「カラオケ」をするのと同様、
舞台に立って役者になるのでもなく、しかし役を演じる楽しさを目的に「TRPG」をする、
というのが理解してもらえないものだろうか。
当ブログでも、それらを考えて行きたい。
 
追記:
この記事では、TRPGの面白さのうち「役を演じること」に関する部分を中心に書きました。
もちろん、他のゲーム同様の楽しみもあります。
番組にて取り上げられたプレイヤーにも問題があるかもしれません。ニュアンスで語る様子は、ゲーマーに限らず。現代の若者は語彙も少なく、説明というのが苦手でしょう。
しかし、ラーメンのうまさを客に聞いても詳しい説明ができるものでもないでしょう。
なお、ゲーマーの中にも「リアル寄り」や「フィクション寄り」があるものです。
この記者・番組に敵意を持たず、寛容と学習をごにょごにょ。。
 
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