TRPGの現状ってどうなんだろう?冬の時代とか反省会とかについて

あちこちで言及されている、「TRPGは衰退しているor冬の時代は終わった」と「反省会は大切?」についてです。
TRPGは変わってきています。私は最新のTRPGを見ているわけではないでしょうが、少なくとも馬場理論の時期からも「ゲームマスターの達人」の時期からもかなり経っています。
RPGとしてTRPGでやろうとすることが、コンピュータRPGで出来てしまうのであれば、そちらの方が選択されるでしょう。
TRPGの独自性を「自由な発想で行動できる」という点は、ユーザーがそういう発想力があるという前提での楽しみ方となるでしょう。「独自の発想が楽しい」というのは、「発想力がないと楽しくない」ともいえますから。(まあ、「まるで独自に発想した」かのような錯覚を与える、接待システムを作れればこの点は解消できるかも)
 
カラオケは、「本来は歌手になって舞台の上にあがらないとできなかった『マイクで人前で唄う』こと」を簡略化と小規模かで大衆に娯楽として浸透させました。
TRPGもカラオケのように、「仕事や学校の帰りにでもできる」ものにすることはできないでしょうか?
今は無理かなと思います。(TRPGカフェというのがあります。あれはいいものですが。)
カラオケは一人でもできます。しかし、TRPGは一人ではできません。
TRPGには準備がいろいろ小童用です。カラオケには準備は必要ありません。
カラオケは唄えば楽しく、上達は必須でない。別にプロの歌手を目指すわけではないからです。TRPGは・・・「反省会」を重視するなら「上達を必須とする」でしょう。目標のない「反省会」は意味が無いし成り立たないでしょうね。スポーツのように「上達を必須とする」というは大衆に浸透しにくいでしょう。
 
将棋や囲碁には「回想戦」という習慣があります。
あのときああしたらどうなっただろう。そういうことを楽しみとして共有できる人でないと、回想戦はできません。(勝ち負けのみこだわる人は、終わった勝負に難癖つけるな、と不愉快になるでしょう)
TRPGにも回想戦のように「感想」を聞くということがありますよね?でもなぜかTRPGは1回きりで、同じシナリオを難度もプレイするということが滅多に無いようです。だから感想で、あのときああすれば、といっても幻に、戯言程度のものになってしまいます。
 
「反省会」をする人は、より上達を目指すのでしょう。それが目的であれば、「反省会」は機能するし意義がるというものです。
カラオケと違い、一人でできないもの。バンド活動というのもそうですね。バンドは反省会が必要でしょうか。どこかの会場を借りて、ライブを行うというなら必要でしょう。
TRPGはバンドと似ていますが、ライブで多数の客の前で行うものではありません。カラオケのように身内で楽しむものです。(ライブな、ショービジネスのTRPGがあってもいいと思うのですがね)
TRPGでは、上達の目標がとらえにくいものですね。
カラオケ店には、マイクしかなくてギターもドラムもありません。あったとしても、サラリーマンが2次会に「バンドやっていこうぜ」とはならないでしょう。
 
いろいろ書きましたが、「大衆は上達が必要なものはやらない」「大衆は準備が必要なものはやらない」という極論になってしまいそう?いえいえ、ゴルフなんて、上達やら準備やらが必要なものですよね。ボーリングだってうまくなりたいですよね。対戦アクションゲームだって、スポーツのように上達あってこそ楽しくなるものです。シューティングゲームもそう。
ということは、大衆だって気が向けばTRPGをやるかもしれません。
もっと準備を少なくしよう!もっと上達の本を出そう!
ということでしょう。
 
TRPGは衰退しているんでしょうか。ゲームという娯楽全体が、消費が冷え込んでいるという事実もあります。
競争はしない。でも誰かを蹴落とす。努力はしない。でももらう権利があるものはもらう。
そういう時代の風潮が、ゲームなんて無駄な努力と見るかもしれません。
「やせる」とか「脳が鍛えられる」とかいう付加価値がないと物が売れない時代の中で、『このTRPGで脳が活性化!』とか『コンベンションは出会いの穴場』とかでTRPG人気が出てしまうのは嫌でしょう?
マイナー趣味でもいいじゃないですか。忙しい大人がプレイできるようにしていけば、手間が嫌いな若者がすぐに始められるようにしていけば。コンピュータRPGと違う点を増やしていけば。
ともかくTRPGはまだまだ変わっていくでしょう。一方でかつてのTRPGの面影はまったくなくなってしまうかもしれません。それでも、TRPG