「ゲームで勉強」でなく「ゲームを教材」に!

教育ってのは、公式や歴史年表のデータを覚えることが目標ではない!その先にある未来、社会に出てからどう生きるか?どんなことができるか?何が好きか?そういう、「やる気」の元を育てることが教育なんじゃないか?!
特に「義務教育」ってのは、確かに計算力や読解力や知識、体力などを基礎的なレベルになるまで教えるというのも目標の一つだろう。しかし、図画工作や音楽、技術・家庭科などの能力はそんなに必要でもないだろう?じゃあ、なぜそんな授業があるのか・・・それは、「興味をもってもらう」ことが目標にあるからだろう。
いいか、世界ってのはな、世の中ってのは、たくさんの人がいて、それぞれの様々な興味・趣味・好み・性格があるんだ。それらが集まって社会になっているんだ。キミが知らないこと、学校で習わなかったでは済まされない。しかし、義務教育はチャンスをくれている。こんな世界があったのか。こういう楽しみがあったのか!


ゲームで教育がちょっとでも「頑な」でなくなれば、それもまた「良い効果」ではないかと思う。
以前にも書いたが、私は「教育用ゲーム」という矛盾したソフトを作るという苦い経験がある。
教育用とは名ばかりで、コンピュータまかせ、子供を放置するというソフトだ。
なお、勉強とは目標や目的がない限り、やる気にならないもの。そして、勉強とは、ある程度の時間を「嫌でも」やらなければならない。今の学生はそうだ。だが、ゲームはやりたいときにだけやればいい、飽きたらやめればいい。勉強もそうであればいいのだが、社会の仕組みはそうはさせてくれない。


ゲームとは、古来「勝ち負けを競う」ものだった。しかし、近年は「体験する」ものでもある。勝ち負けの結果だけでなく、経緯や感じ取ったものも大切だということだ。
その「経緯」の中で教育に効果があるのなら、ゲームもまた良い教材になろう。


「ゲームとは、こういうものだ!」とか「教育はこういうものだ」とかいう先入観はなくしたほうがいい。
心配なのは、勘違いした教師が出てきやしないかとか、教材を使いこなせない教師が多いかもしれない、ということだ。教える側も、常に勉強!なのである