RGN第2回を振り返って

今回のテーマは「ゲームの定義を再検討する」というものでした。
 
まずは、発表の分析から。
・『ノミック』という変なゲームがある。派生改良版「ミニマムノミック」はもっと怪しいルールになっている。
  ゲームとして「ルールが決まっているもの」という前提を無意識にもっている?ルールが変ってもゲームとして遊んでいる。マジック・ザ・ギャザリングなどは最たるもの。カードの追加ルールが書かれており、そのルールはまた別のルールによって書き換えられていく。また、デッキによってどんなカードが入っているかわからず、どのようなルールが追加されるか予測がつかない。そういってものが受け入れられている。
・ゲームとは、その遊びのことを指す。
  ゲームは遊んでこそ。
・条件をもってゲームと呼ぶのか?
  ユーザーにとっては「楽しければいい」というもの。ユーザーがどんな好みかによっても違うし、ゲーム経験の違いも関係ある。ユーザーは、ゲームという定義なんて気にしない。気にするのは我々研究者や開発関係者。脳トレを「それゲームじゃないよ」と一般人に言っても気味悪がられるだけ。
・ゲームでないものをゲームとして遊んでしまう。
  今回の一番面白いところだったと思う。
  ゲームだと思っていようがいまいが、「ゲーム」として売ってしまうこともできる。ただし、それで本当にゲームゲームしたものが排除されるようなことのないように。
・いかさまを仕込んだ「当らないスロットマシーン」はゲームか。あるところで必ずクラッシュするゲームソフトは、ゲームか。
  正体を知るまでは、ゲームとして機能するとのことだが、人によって違うのでは。今回重視しなかった『プレイヤー意識への着目』が大事なのではないか。ゲームには、「勝負としてのゲーム」と「ストーリー娯楽としてのゲーム」と「暇つぶしのゲーム」がある。(他にもあるかも)いかさまで勝てないものやバグで止まるものは、「勝負としてのゲーム」ではなくなるということだと思う。いかさまスロットでも、「暇つぶしのゲーム」であれば、正体も関係なくプレイする人はいるだろう。バグで止まるものは、「ストーリー娯楽としてのゲーム」を求める人にとってもゲームでなくなるといえる。
・○×遊びは、手順を考えればすぐに攻略が見えてしまう。
  これも上と同じ。ジャンケンはゲームか?ゲームじゃない、と思う人は多い。
・攻略が見えたゲームに対して、自分ルールを適用して遊ぶ。RPGタイムアタック
  PSOでも無移動とか、武器なしとか、ロボのみとかルールを作ってプレイすることも。
・ゲームのルールは変動してもよい
 まあ、マジック以降アナログゲームでは、基本ルール以外にルールが変動するようなギミックがあるゲームが増えてきているから、結構認知されている要素だと思う。
・旧来の「ゲームの定義」というものはもはや無意味になってしまっている。ルールは変り、ゲーム行動がルールを変える。ゲームとは、静的に条件定義できるものではない。動的に定義するものだ。
  その通りだと思います。
===今回の一応のまとめ===
「勝負のゲーム」の時代からゲームをしている我々オールドゲーマーにとっては、「ぬるくなった」と思うが、それでも新たな楽しみの開拓もあり、その中で「勝負のゲーム」もまだ価値があるということを知るにいたった。(と思うが、テーマの根本を覆すようなツッコミが出て、もやもやしたものが残ってしまった。でも、一応のまとめができるくらいなので、完結にまとまりはなくともテーマの目標は達成したように思う。)
 
 ☆ゲームの定義に関する考察☆
「勝負(競技)としてのゲーム」
インベーダーから’80年代のゲーム等は、無限にステージが続く。ゲームに対する挑戦でもあるが、スコアを競うという競技要素が強い。
「ストーリー娯楽としてのゲーム」
 近年のゲームのほとんどはエンディングがあって、ある程度でゲームが終了するようになっている。
小説やマンガのように、「ストーリーを追って」楽しむもの。ストーリーが良ければ、エンディングを迎えてもまた最初から「読み返す」ということに。
「暇つぶしとしてのゲーム」
メダルゲームというのは、儲からないようにできている。お金を払ってメダルを入手し、それを使えばある程度の時間はゲームができる。最初から勝つことを目的としていない。
「勝負のゲームの時代ではなくなった」
 エンディングのあるゲームは、ゲームとしての価値が限定されているということになる。エンディングを迎えたところで、満足してしまうプレイヤーがいる。勝負としてのゲームという時代ではなくなっているからではないか?
 スコアという概念がなくなったのもその証拠といえよう。スコアがないので全国1位を決めることができない。
「ゲームでなくなることについて」
・勝負のゲームの場合
無限ステージのゲームは、勝負が続く限りゲームであろう。そして、いかさまやバグで勝負が中断されてしまう、それで勝負の価値が失われるということ。勝負の価値が失われると、ゲームとはいえなくなる。攻略されつくしたゲームも、勝負にならないため、勝負の価値が失われる。その時点でゲームでなくなるといえる。スコアカンストのゲームも同様にゲームでなくなる。ゲームルールの底が浅いなどのせいで飽きたときも、勝負の価値がなくなり、ゲームでなくなる。
・ストーリー娯楽のゲームの場合
ストーリーの面白さが損なわれたときに、ゲームでなくなる。バグで途中で止まるなら、ストーリーが意味をもたなくなってしまう。(打ち切りになった小説やマンガのようなもの?)ストーリー全体を把握しきってしまい、飽きたときに、ゲームでなくなる。
・暇つぶしのゲームの場合
支払った対価に対して楽しめる時間が短すぎた場合、遊ぶ価値がなくなるので、ゲームでなくなる。飽きたときに、ゲームでなくなる。
「ゲームの定義について」
ゲームであるか否か、それは遊ぶ人が決めてくれるものである。ゲームを作るにあたっては、どんな人に向けて作るか、その定義が当てはまる人は多いのか、などの重要な手がかりになる。我々がゲームではない、と思っていても、世に出してみればゲームとして受け入れられていくものもあるだろう。
 

サブ発表として「理解力のフライホイールたるゲーム 」がありました。

・ゲームを売ること・・・三大欲求を売る
 エロス
 早さ(ファッション等の先んじること。ようは流行に敏感だと思われたいということ?)
 バイオレンス
  えー、人間の三大欲求って、「食欲、性欲、睡眠欲」じゃなくて?
  「早さ」ってのは止めて、便利さとかに置き換えるほうがいいかもしれない。
・ゲームってのは
 仮説→実践→確認  人間は理解したいという欲求が根底にあるから?
  んー、じゃぁみんなゲームをやらなくなったのは、理解したいと思わなくなったから?我々ゲーマーはまだゲームやってるけど、それは「理解はすべてに優先するぜぇ!!」ってことかな?
・猫がネズミをとること
 1匹のネズミ〜数匹のネズミ・・・獲って食べる
 満腹のとき・・・とりあえず獲る。食べない。
 さらにネズミ・・・ちょっかいを出すが次第に無反応になる
 これは食べるための動作ではなくて、「動くものを捕らえる」→「空腹なら喰う」という流れではないか。
・人間の行動もそのようなものではないか
  ふぅむ、これは確かに興味深いです。生活に関わらない娯楽をするのは、生活に関わるような事態の予備行動なのかもしれない、と。
コンピュータRPGのシステムはすごい
コンピュータRPGのシステムから考えるに、難易度調整しだいで売れるかどうかが変る。ゲーム開発は危うい商売?
 当然でしょう。小説家や漫画家同様、コケたら大変というもの。
 
あと、ノミックに関して、こんな質問あが投げかけられました。
「なぜ、『全員が勝ち』という提案を宣言しなかったのか?」
これについては、勝ち負けの価値観が違うからでは?全員勝ちとはいっても、本当の意味で「勝った」わけではない。負けなければいい、という価値観なら、その宣言に賛成するだろう。「勝負のゲーム」としてとらえており、そのためのルールが追加宣言されていたことがそれを証明する。