フィクションをフィクションとして受け入れよ ゲームにおける死の表現とは?

ゲームの世界はフィクションの世界です。自分の身長の三倍以上もジャンプしたり、銃で撃たれてもなかなか死なないとか、現実とは違うことが多い世界です。
これらについて、いちいちツッコミをいれたり、それを指して『リアルじゃない』と批判するのは、ヤボというものですね。
今回はAYSさんの記事に触発されて書いてみました。

ゲームにおける死

ゲーム中では死の表現はありません。と言うのも、ゲームにおいては、キャラクターとはコマにすぎないのです。コマに、人間や動物の絵が張り付けてあるだけです。コマがゲームから除外されることを指して『死んだ』と言っているにすぎないのです。
『死んだ』という言葉にはいくつかの意味があります。

  • 死亡すること。命が失われ、二度と動かなくなること。

例)人間や動物が亡くなったときに使う。

  • 壊れること。故障して、動かなくなること。

例)パソコンや機械等が壊れて使えなくなったときに使う。

  • 倒れること。寝転がって、動かなくなること。眠ってしまうこと。

寝不足や酒に酔って寝てしまい、しばらくはどうしても起きないようになってしまうときに使う。


これらに付け加えるとしたら、こうなるでしょう。

  • ゲームの中で、動けなくなること。ゲームから(一時的にか、永久に)除外されること。

例)ミスによりキャラクターが「戦闘不能」や「ステージのやりなおし」などのペナルティーを受け、一旦ゲームから除外あるいは例外の存在になること。


ゲームにおける死とは、現実における死とは違う意味をもっているのです。

死の表現とは

また、人物の死を表現しているゲームがあるとのことですが、ゲームに付随した要素『ストーリー』の上での死なのです。
ゲームに付随した要素がゲームに影響あるというものは、ありません。
ストーリー上、仲間とはぐれたとか、武器を全て無くしたとか、そういう演出は『ゲームに対する理由付け』というものです。
次のステージでは仲間の力を借りずに戦ってもらおう。→難易度の高いゲームをしてもらうという考え。
あるいはストーリーが先にある場合、ストーリーの区切りを利用した『インターバル』です。
ひたすらゲームだけが続くというよりも、オマケとしての演出が、プレイヤーの興味をひけるからでしょう。そのシチュエーションにうまくからめたゲームを設定することで、あたかもゲームとストーリーが一体化しているように感じさせるのです。
つまり、「ゲームが死を表現する」のではなく、「ゲームに付随したものが死を表現する」ということです。

ゲームに表現はない

ゲーム自体はゲームであり、ゲームに付随したもの「ストーリー」とか「アニメーション」とかが表現をしているのです。
ゲームに対してストーリーや感情表現を求める意見もあるようですが、ゲームとは競技であったり挑戦であったりするもので、小説やアニメとは違うのです。ゲームに付随したもので表現できるでしょうが、ゲーム自体はその中に埋没してしまうことでしょう。
ゲームは数値であり、選択であり、結果であるのです。
ですが、ゲームをしていると、そこに表現が現れることがあります。

ゲームと表現の融合

ゲームの勝ち負けを競うよりももう一歩の高みにある楽しみが、「負けも楽しむ」ということです。これは、ゲームのルールをよく知り、勝敗の感情を全て知り尽くした先にある、ゲームを愛するが故の楽しみです。野球などのスポーツでもそう、負けても「いい試合だった」というのがあります。プロになると、負けてもいいなんて言ってられないのですが、それでも、いい試合というものこそが、そのスポーツを愛する者にとってたまらないものなのです。
対戦格闘ゲームでも、いい試合というのがありますね。ボードゲーム等でも、満足の行く、いいゲームだったというのがあります。そして、そういった勝ち負けを超えた楽しみが、やがてRPGの発明に至ったのでしょう。

RPGは表現する

RPGは、勝ち負けがない、とよく言われますが、私は「勝ち負けを超えた楽しみ」こそがRPGなのだと考えています。RPGではよく「ストーリーの都合上、死なない」ということがあります。逆もまた然りです。TRPGでは、「ここで死ぬのも美しいだろう」と、死を選ぶことができます。ゲーム的に考えるなら「死=負け」ですが、負けても楽しいということです。コンピュータRPGは「独り遊び」になりがちなので、ゲーム制作者に対する「挑戦するゲーム」という雰囲気になってしまうので、勝ち負け以外のなにものでもなくなってしまいます。これが、

「ゲーム」や「ゲーム」を出発点とする「ゲームのような小説」はその努力がぼくには乏しいように思えてなりません

ということなのではないでしょうか。
(意訳:「小説のようなゲーム」や「ゲームのような小説」を指していると思われる。)
コンピュータRPGが、いつまでも小説やアニメの表現を借りてばかりいるのでなく、小説的(アニメ的)ゲームならではの「表現の努力」をすべきですね。また、戦闘以外のゲームルールがおそまつなものが多いです。ゲームとしての死を「戦闘不能」にして安易に置き換えているだけではRPGの発展もありません。戦闘のゲームを考え直すべきときにきています。

TRPGにおける死

TRPGでは、困難な状況で(戦闘や事故で)死ぬことがあります。自分のキャラクターが死んだときは、基本的に復活しません。死んだらそれっきり、ゲームからも離れてしまいます。まさに、死ぬというのを体験したような感じを受けます。
先ほどは「自分で選ぶ死」を負けを楽しむと言いましたが、ストーリー全体としては楽しめるが、やはり死ぬということがためらわれ、死を惜しまれるのです。死=負けではなく、死=死であるのです。

現実とフィクションの区別を

ゲームはフィクションです。現実とは違うのです。物理法則も違うし、自然のあらゆる法則と違うのです。法則とはルールです。ゲームに現実の法則を取り入れるということは、ゲームのルールにルールを追加して、複雑化させることになります。ゲームにうとい人ほど、ゲームにリアリティを求めたり、ゲーム(フィクション)と現実を混同したりしがちです。
ゲームはゲーム、現実は現実、と分けて考え、ゲームとも現実ともそれぞれをよいものにしていく努力をしたいですね。