作業

ゲームの本質の中に、繰り返しの行動を要求するものがあります。
アクションゲームで、慣れてしまったところは作業と感じることもあるでしょう。
パズルゲームで、すでに解法がわかっているステージについては、作業と感じるでしょう。
RPGにおいて、シナリオの進行に関係ないような場所でも経験値稼ぎをやらされるのは、作業と感じるでしょう。
作業というとどうも、「頭を使わない=低俗な行動」というような意味を含んで、馬鹿にする風潮があります。でも、ゲームから作業、繰り返しを排除したらボリュームは一気に少なくなります。
いいゲームなら、何度も遊んでしまいます。すでにクリアしていても、繰り返しの行動を作業とは思わないでしょう。
好きな映画は何度も観てしまいます。観るということに関しては、繰り返しになっても作業とはいいません。
私は、頭を使わないゲームは、スポーツと同じと考えます。ゴルフはボールを打って、穴に入れるだけの作業。サッカーはボールを蹴ってゴールに入れるだけの作業。そんな風には言われません。でもなぜゲームだと作業と蔑まれなければならないのでしょう。
感覚を研ぎ澄まし、ルールにのっとって最高のタイミングでテーマどうりに体を動かす。それがプロのスポーツ選手ですね。その為には何度も練習します。練習は繰り返しですが、何故作業と言われないのでしょう。
作業も全てが嫌われているわけではないです。嫌われるのは「無駄な作業」ですね。
結果がわかっていて、なおかつその行動をする必然性が足りない場合、無駄な作業と言われてしまうのです。
行動に対する結果の取得をどう考えるか。それが、「作業の意味」ということでしょう。
自分が満足する結果を得るまでやるか、自分が飽きるまで、作業的行動は繰り返されます。
ゲームの本質は作業を含みます。面白いものであれば、作業さえも楽しんでしまう。そういうものなんでしょうね。