教育とゲーム

ときどき教育者や親御さん方が言うのです。
「ゲームをする熱意を、勉強にも向けてくれたらいいのにねぇ」
あぁ、気持ちはわからないではないが、そりゃ無理ですぜ。中には「ゲームを利用して学習させる」なんて無茶なことを考える人も。
私はかつてゲーム企画の仕事をしていたのだけど、そのときに「教育用ゲーム、学習ゲームをつくってくれ」
といわれ苦しんだことがありました。
無理なんですよ。なぜゲームに熱中するか、それはいつでも気軽にやめられるからです。勉強は(とくに義務教育期間は)やめることができない、やめることに罪悪感があるのです。人間は必要がないことには努力の価値がないとみなし、無駄なことをするのにストレスを感じるのです。
子供だって興味や価値を見出せば、言わなくとも勉強するものです。(大抵は勉強の方法がわからずに諦めてしまうようです。先生・教科書以外に、勉強の方法がわからない。)
学校とは、「同じ時間」「同じ環境」「同じ量」という条件の中で勉強させ、優劣を決めてしまうのです。
ゲームには優劣を評価するようなことはないです。(かつてのスコアを競うタイプも、スポーツのように自分のペースで訓練できる)
ゲームは、いつでもやめられて、いつでも再開できる。そこに「やめることをさせない工夫」「必ずこれを学習させる」という要素を入れれば矛盾ができて破綻するのは当たり前なのです。