F1とW杯からみる日本人の心について


いろいろ考えさせられる記事です。
どうも日本人は人と競うのが苦手・下手なのかもしれないですね。
集団の能力の平均化を図ろうとするとか、例外を認めない狭い精神とか、いろいろ。それで、テレビ等のマスコミが楽天的な情報をながしてるのは、そういうのが求められているからではないでしょうか?
共有できる情報リソースを求める気質なのかもしれません。盛り上がればそれでよし、試合の内容について詳しく理解しているのはほんのわずかでしょう。競技性の娯楽が求められていないのです。
でも、本当にF1好き、サッカー好き等であれば、負けを理解し、勝ちを理解することを考えるべきでしょう。
愛国心についてはどうにも、はっきりしないですね。卒業して何年もたつのに、その学校に対して何か深く関わるようなことがあるわけでもないのに、高校野球甲子園大会では母校や地元の県の代表校を応援したがるものです。共有化、安心したいということでしょうか。
はたして、それでいいのか。
『みんな苦労してるから、俺の苦労もいたしかたなし。頑張ろう。』というのはよいかもしれない。
『みんな無知なんだから、俺も無知でいいや』というのは?
『みんなやってるから、俺も○○やるぜ(○○には犯罪が入る)』というのは?
もっと知ろうと努力してもいいのでは。
本物を見よう、本物を知ろう。
実際に見よう。
バーチャルを害悪みたいに妙に拒否反応示すくせに、メディアのフィルターによるバーチャル性質を見抜けないとは、いかがなものでしょうか。