乱数に対する期待

■プレイヤーの期待する乱数
・同じ数値は連続しないでほしい
・同じ数値の頻度は減って欲しい
・高い数値も低い数値も中間の数値も、等しく同じ頻度で出現してほしい
例えば、カード方式。
山札から順に一枚めくる。山札がなくなったらシャッフル。
山札がなくなるまで、一度出た数値は出てこない。
●問題点
 山札の残りが少ないほど予測しやすくなる。記憶力が攻略の鍵になる。
 山札の見えないコンピュータソフト内での処理でも、手心を加えにくい。頻出する数値があればバレてしまう。

■開発者の期待する乱数
・次の出現が予測できない
・同じ数値が出ることも含めて、出現の可能性・確率を等しく
・乱数の出現パターンが発生しない
ダイスのように完全にランダムであってほしい。
毎回振り直し、目の前で振ってみせればなおよい。
●問題点
 コンピュータソフトでは、そのダイスを見せることができない。
 ダイスがパソコン内にあるわけではなく、擬似乱数を生成しているから。
 疑似乱数の基準値のようなものがあり、それの設定によっては乱数にパターンができてしまう。

感動とは感情のことだ!

楽しい、面白い、可愛い、かっこいい、怖い、危ない、悲しい、切ない、ほっとした、満足した、などなど。
物語娯楽において、過程を説明するためだけの描写は退屈で仕方ないということ。
過程の説明は理屈を大事にしていること。理屈の説明では感動しない。感情に触れていかないと、感動にはならない。

ドクター・ストレンジ

天才外科医として調子にのっていたところ、事故にあい、両手がうまく動かせなくなるほどの重症を負った主人公ストレンジ。
幾度の手術にもその手の状態だけは治らず、震えるままだった。
財産も味方も失い、行き着いた果て、東洋の山奥で、超常的な能力を操る組織に出会う。そして、その能力をようやく得たところに、かつて組織の属していた裏切り者が禁断の術を用いて遅球を支配しようと動き出す。主人公はその戦いに巻き込まれていく。


・常識の世界のエリートからの脱落=選択肢の喪失
始め、ストレンジには戦う理由はありません。彼は自分の両手を治すことだけが目的でしたから。
その同期についてはあまり触れられていませんが、医者としての再起を目指していた、その純粋さを組織の師匠エンシェント・ワンは見抜いて、そしてそこを買っていた。後半の出来事において、戦う理由を得るが、この一度どん底まで落ちることで選択肢を失くし、次のステップへつなげるようになっている。


・真実を理解?ではなく真実を受け入れること
後半の出来事の中で、ある問題についての疑惑を晴らすことが。その真実を理解するというよりは、そうなんだから仕方ない、というどうにも理屈では説明できないところに行き着く。世の中は、理屈と真実とで出来ていて、その両方のバランスをよく受け入れることができないと、他人との衝突が起きやすくなる。まあ、こちらが受け入れるつもりでも相手が拒否していれば、どうにもならない。ストレンジは医者のときには理屈だけで行きてのし上がってきた。その語、この事件の中で、理屈では説明できないもの、真実を受け入れることを学ぶ。そして、理屈と真実の両方を活かして、最後の難題を解決に向かわせた。


・次のマーベルワールドへ向かっての説明
ストレンジの修行中に、マーベルシリーズの世界観の説明とも言える部分が入っていた。これが、今後の他の作品との架け橋となる要素なのだと思う。

strangetelephone

主人公の少女とお供の電話を操作する、アドベンチャーゲーム
仕組みとしては脱出ゲーム。

・電話がテーマに結びついている
電話に番号を入力すると、別世界(ステージ)へ移動。移動先でアイテムを入手したり、何かと会話したりする。
アイテムを探し、それをどこかで使うと新たなアイテムを入手できる。この繰り返しで、ゴールのドアを目指す。(ちなみにゴールのドアはスタート地点にある)


・自動生成
電話番号を入力すると、その番号の組み合わせによって、ステージが自動生成されているようにも感じる。ステージにある置物と背景の組み合わせの基本は決まっているようだが、そこに付随する置物等はステージごとに違う。
これらの背景や置物等の違いの部分が、自動生成のように感じる。
アドベンチャーに自動生成となると無駄が多くなるが、正解への鍵となるステージも複数存在しているので、数万ものステージの中から1つを見つけるようなことにはなっていない。(とはいえ、法則性は見いだせないので、やはり総当り的な苦労はする。)


ファミコン時代を思い出す
ピコピコサウンドと、ドット絵の表現がファミコン的。
無数の部屋を行き来していくというと、『アトランチスの謎』を思い出す人もいるか。
Twitterには攻略情報も流れ始めているが、こうした情報交換は、『ドルアーガの塔』などを思い出させる。あの頃はこういったノーヒントで探す要素のゲームが結構あった。


めもめも
VISTAでインストールexeがクリックしても起動できない(無反応)の時にやること。

右クリック→プロパティ→ブロック解除

「このファイルはインターネット上の場所から取得されており安全でない可能性があります。」
というの。

・めもめも
2015年に見た映画
THE NEXT GENERATION パトレイバー 第7章
ホビット 決戦のゆくえ
名探偵コナン 業火の向日葵
THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦
攻殻機動隊 新劇場版
マッドマックス 怒りのデス・ロード
アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン
ガールズ&パンツァー 劇場版

思い出したら追記する。。

Mr.ホームズ 孤独について。老いについて。

先に映画の傾向を書いておきます。この映画は、ホームズマニア向けです。それも、原作重視派向けです。
テーマは「孤独」「老い」でした。ホームズの格好良さも残しつつ、年老いて記憶力が怪しくなってきていること、そして心残りの事件についての回想。それらとともに、孤独を受け止めること。この映画が幕を閉じる頃にはそれらが全て収まる仕掛けになっていました。


これはささやかな事件でした。本当にホームズが対処すべきほどの大きな出来事でもなく、興味をもつような難解な奇妙なという要素もありませんでした。
きっと、生活のために、ときには自身の頭脳の健康を保つ運動のように、そのささやかな事件を引き受けたのでしょう。この時点ですでに、ホームズの孤独が影を差してきています。ワトソンはすでによそへ行ってしまったため、一人で探偵業をしているのです。孤独の中での事件。そして、孤独が浮かび上がる事件。そのせいで、自身の孤独に気付いてしまったホームズ。その流れがとても心に突き刺さります。
ホームズがあの時に言った「アドバイス」は、まあ、そう言うだろうよなぁ、というよくある言葉でした。でも、女性の心を理解していなかったんだろうなぁ。ホームズは割りと、現代で言うオタク気質、マニア気質なので。女性の感情優先的な行動には、「めんどくさいなあ」と思っていたようなくちでしょうから。
私も覚えがありますよ。それまでに結構仲良くなったなあと思っていた女性が、とある会話をきっかけに、二度と会話してくれなくなるというアレですよ。理性的な「正しい解答」をしちゃダメなんですよね。女性が欲しいのは解答ではなく、心のある言葉なんでしょう。などと思いだしても、今更・・・そう、今更という後悔なんですよ。この映画のもう一つのテーマ「後悔」ですね。


隠居の身のホームズは、家政婦の息子にせがまれて、書きかけていた本を少しずつ書いていきます。一度はワトソンによる書籍が元で映画にもなったという設定。ホームズが自分自身が映画化されているのを見るというシーンは、なかなかシュールでもあり、「もしも」という想像を刺激する、シャーロキアンなら誰もがやる妄想の具現化でもあり、魅力的なシーンです。
少し話が逸れますが、生きているうちに自分自身が映像化されるというのは希少なことでしょうね。その希少な例が、ドラマ『アオイホノオ』です。


隠居ホームズは、記憶を辿りつつ、事件の過程を思い出そうとします。本当に少しずつ。老いていくことの辛さの一つ、記憶力の低下ですね。記憶障害に関しては、まだ私には理解の及ばないところですが(まだ実体験もないですし)、遠からぬものであることは、様々なところから伝え聞いています。記憶がないことを自分でわからないということ。そこからくる、自分自身への疑い。自信喪失へとつながる悪循環。恐ろしいものです。この、記憶障害のせいで、本来ならささいな事件などあっという間に終わるところを、少しずつ進めていくという「じらし」効果を視聴者に与えています。劇中の少年が言う「ねえ、続きはどうなったの?」というセリフが、我々の心そのものでしたw


ホームズが失ったものをひとつひとつ確認するシーンに、涙が溢れました。
もう、取り戻せないものたち。
かくして、「孤独」と「老い」についての物語は、ひとまずの結末にたどり着きます。それは物悲しい色を帯びて入るものの、それを受け止めて、こういう生き方もあるよというひとつの答えでした。
孤独を抱えて老いていくことになる、独身のアラフォー世代には見て欲しいと思います。


ひとつ、残念に思うのは、カメラワーク。なぜかアップを取りたがる傾向。カメラの切り替わりが激しい。ホームズが手にしている「証拠物件」をもっとよく見たいのに、1秒ほども写っていないですぐに切り替わってしまう。そこが残念でした。